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【INSIDE】「いつ呼ばれてもいいように」。若林学歩が10.7に輝くまでの物語
選手の内面に迫ったロングインタビュー企画『INSIDE』。今回は、惜しくも敗れた天皇杯でのさいたまダービーで見事な活躍を披露した22歳のGK、若林学歩 選手にフォーカス。大宮でプロキャリアをスタートしてからなかなか出場機会を重ねられず、期限付き移籍を繰り返していた中で、どんな想いを抱き、どんな経験を得て、どんな準備を重ねてきたのか。オフィシャルライターの戸塚啓さんが、その背景に迫りました。
聞き手=戸塚 啓
01
いきなり壁にぶつかった岩手での武者修行
記憶に刻まれた一日、というものがある。第三者にとっては何気ない一日が、特別な意味を持つことがある。
若林学歩にとって、2024年12月26日はフットボーラーとしての転換点である。大宮からJFLのいわてグルージャ盛岡への育成型期限付き移籍が、この日に発表されたからだ。
「レンタルでカテゴリーが下のチームへ行くということは、試合に出て経験を積むことが絶対条件というか、大宮のスタッフも試合に出たうえで評価する、というのはあったと思うんです。僕自身、グルージャで結果を残さないと、サッカー選手として終わっちゃうぐらいの気持ちでした」
2024年からレッドブルサッカーの一員となった大宮は、クラブの内外に世界基準が持ち込まれている。ソフトにおいてもハードにおいても、国内有数と言っていい。
「僕自身も大宮は環境面で恵まれていると思っていて、グルージャとの違いは覚悟していました。覚悟はしていましたけれど、違いに慣れるのは大変でした。でも、とにかく試合に出て結果を残す。それだけを考えていました」
開幕から4試合連続でスタメンに名を連ねた。しかし、ケガで離脱を強いられてしまう。
若林がメンバーに復帰した第9節の時点で、チームは5連敗していた。彼がベンチ入りした第9節も敗れ、連敗はさらにのびた。スタメンに復帰するタイミングかと思われたが、序列が変わることはなかった。
「うまくなろうという向上心とか、試合に向けてベストの準備をするとか、そういう気持ちは絶対に失わないようにしていたんですけど、自分が考えていた未来からどんどんかけ離れていく気がして…」
気持ちが沈みがちになる。視線を上げるのが難しい。本音で語り合えるチームメートもできていたが、悔しさをかみ締めているのは自分だけではない。思いのすべてを打ち明けるのは、はばかられた。鬱屈した思いが蓄積していく中で、必死に前を向いた。
「試合に出られなくてもマイナス思考になるのは絶対にやめて、できることは全部やっていこうと。僕はプロ1年目からパーソナルトレーナーさんについてもらっているんですが、オンラインで週に1、2回はトレーニングをして。自主練も筋トレも、すごいやりました」
2025年シーズンの岩手は、ポゼッションスタイルを志向していた。GKは3バックの間に入り、ビルドアップに加わっていく。
「足元のプレーが求められるわけですが、そこは自分の課題だったので、それもすごい練習しました。なんて言うんですかね…ずっとサッカーに熱中することで、自分の機嫌を騙し騙しやっていたというか。グルージャで試合に出られなかった期間は、プロになってから、いやっ、これまでのサッカー人生で一番と言っていいぐらいキツかったです」
02
人事を尽くした横河武蔵野での日々
2025年のJFLは、7月下旬の第18節を最後に中断期間に入った。再開まで、およそ1カ月のインターバルがある。
このタイミングでまた、忘れがたい一日が若林のキャリアに刻まれる。2025年7月30日、同じJFLの横河武蔵野FCへ育成型期限付き移籍をするのである。
「なかなか試合に出られなかった時期に、当時の社長だった原(博実)さんが連絡をしてくれまして。グルージャでの現状を説明したら、横河武蔵野へ行くことができる、活躍できるチャンスがあるかもしれない、と」
原の提案はうれしかったが、若林は即答を避けた。
「横河武蔵野はJリーグ入りを目指さないクラブで、グルージャは1年でJ3へ戻ることを目指している。その時点でのJFLでの順位も、横河武蔵野はかなり苦しんでいました。それぞれのクラブの立ち位置とか状況を整理して、自分はどうするべきかを考えました」
家族に相談した。代理人と話し合った。
そして、最後は自分自身で決断した。
「このままグルージャでサブのまま終わったら、大宮へ戻ることはできないかもしれない。これはもう横河武蔵野でチャレンジするしかないと思って、原さんに『お願いします』と連絡をしました」
自分の選択を正解にするために、横河武蔵野で頑張る。頑張るしかない。ここでやり切って、それでも結果が出なければ、自分はそこまでの選手なんだ──悲壮な覚悟を固めて、新天地へ向かった。
横河武蔵野はJリーグ入りを目指さずに、アマチュア最高峰のJFLで戦い続けることをターゲットとしている。ほとんどの選手はフルタイムのサラリーマンとして働いており、練習は週3回を基本としている。
「練習は横河電機という会社のグラウンドを使っているんですが、ラグビーチームとかもあるので、グラウンドを使えない日もあるんです。GKは野球のブルペンで練習することもありました」
ブルペンは横幅が狭く、距離もそれほど長くない。GKコーチが蹴るシュートを受けたり、クロスボールを処理したりすることは、空間的に難しい。ウォーミングアップに近いようなメニューで、その日の練習が終了することもあった。
「土曜日や日曜日の試合へ向けて、木曜日から金曜日にかけてはコンディションを上げていきたい。でも、そのための練習量を確保するのが難しかった。どうしたらいいかと考えて、高校の監督に相談をしました」
恩師のツテを頼って、駿河台大学のサッカー部にたどり着いた。
「GKの練習だけ混ぜてもらえませんか、と頼み込んで。毎週木曜日に、参加させてもらいました」
横河武蔵野の練習時間は、19時から21時までだ。帰宅は23時ごろになる。翌日は朝4時半ごろに起きて、駿河台大学の朝練に参加した。週に一度のルーティンだが、当日はかなり慌ただしい。
「横河武蔵野には、仕事とサッカーを両立させたい人が集まっています。上のカテゴリーへステップアップしたいと考えている人もいましたが、Jリーグのクラブに比べると練習量とか中身はやっぱり足りない。僕自身は鈴木彩艶選手(アストン・ヴィラ)のような立ち位置を目指しているので、横河武蔵野の練習だけでは足りなかったんです」
そもそもの考え方として、「人の2倍、3倍やらないとできないタイプ」なのである。今度こそ結果を残すために、自らの選択を未来へつなげるために、若林はできる限りのことを探して、自らに課していった。
03
2025シーズンは“まだ終わっていなかった”
8月末のJFL再開から2試合はサブだった。初めて先発した試合は0-4で敗れ、翌節はメンバー外となる。しかし、ラスト6試合はスタメンに定着し、クリーンシートを3試合達成した。
チームは最終節で残留を決めた。シーズン途中に加入したGKとしての責任を、どうにか果たすことができた。
「大宮では公式戦に1試合しか出ていないし、グルージャでは4試合だったので、6試合連続で出場したのはそれまでのキャリアで一番長いんですね。その中で、試合へ向けた1週間のルーティンもできました。駿河台大学サッカー部の練習に参加することで、たくさんの刺激をもらうこともできました。それはもう、メチャクチャ感謝しています」
JFLは11月23日に最終節を迎えた。一方で、2025年のJ2リーグは11月29日が最終節で、大宮は12月7日にJ1昇格プレーオフを戦うことになっていた。シーズンはまだ、終わっていなかった。
「なので、JFLが終わったら大宮の練習に行ってたんです。10月にカサくん(笠原昂史)がケガをしたこともあって僕が参加することになりまして」
ヘッドオブスポーツのスチュアート・ウェバーが、自身のパフォーマンスに好感触を抱いていると聞いた。JFLの終了後に練習に参加していなければ、もっと言えば大宮がプレーオフに進出していなければ、スチュアートの目に留まる機会はなかったのかもしれない。小さな偶然が、若林のキャリアに光を当てた。
04
そして訪れた運命のさいたまダービー
若林自身は、2026年の自分について確信を持てなかった。大宮に復帰できない現実も、実は覚悟していた。
しかし、2026年1月6日に復帰が発表される。
「びっくりしたと同時に、やってやるぞという思いが強く沸き上がりました。大宮に入って、2026年で5年目になります。高卒上がりのGKという肩書はもう終わりと言うか、育成期間は終わったというか、若いからっていう感じはもうないので」
2月開幕のJ2・J3百年構想リーグでは、2試合でメンバー入りしたものの出場機会はなかった。2026/27明治安田J2リーグ開幕後もトム・グローバーがスタメンで、笠原がサブという序列が続いた。
10月7日の天皇杯3回戦で、チャンスが巡ってきた。浦和レッズとのさいたまダービーで、スタメンに指名されたのである。
「浦和戦の1週間前に練習試合があって、『今日はフルに出てもらう、その内容によっては浦和戦(のスタメン)もあるかもしれない』というようなことを言われました。試合では自分なりのパフォーマンスを出すことができて、『浦和戦はどうなるのかなあ』と思いつつも、自分が出られるという確信は持てなかったんですね」
チームは4日にJ2リーグを戦い、7日に天皇杯を迎える。中2日の慌ただしい準備の中で、「スタメンでいく」と伝えられた。
「それまでもずっと試合に出たかったし、出るつもりで準備はしていましたけれど、あの浦和戦も自分が出られるとは思っていなくて。だからもう、とうとうチャンスが来たか、やっと来たか、マジでうれしい、みたいな。大宮で試合に出たのは、プロ1年目の2022年が最初で最後でした。ホントにひさしぶりの公式戦で、それもNACK5スタジアム大宮で、しかもさいたまダービーです。これ以上のシチュエーションはない。いやもう、ホントに楽しみでした」
試合前のウォーミングアップから、いつもどおりに過ごすことができた──若林自身はそう感じていたのだが、川原元樹ヘッドオブゴールキーピングに「呼吸が荒い。心拍数が上がっている」と指摘された。
それでも、試合には落ち着いて入ることができた。シュートストップもクロス対応も安定したもので、後半に入ってスコアが動く中でメンタルの揺れを最小限にとどめた。決定機阻止のセーブも見せている。
「練習で積み上げてきたものはあるんですけど、練習と試合は全然違うので、試合でどれぐらいできるんだろう、ましてやJ1の浦和を相手に、というのは個人的にすごく楽しみでした。結果は2-3で負けてしまいましたけど、自分の良さを出しつつ今後につながる課題も見つけられたと感じています」
05
上々の一戦を経て、「もっと精度を」
196cmのサイズを誇る若林は、一つひとつのプレーが躍動感にあふれる。シュートストップのシーンでは、自らの守備範囲へシュートを呼び込むような迫力がある。
「そうですね、自分の武器としてセービングのところは出せたかな。しっかりいつもどおりの準備をして、力が入り過ぎずにボールに対応することはできました」
世界基準のサイズを持て余すことなく、1本目のセーブ後に瞬時に2本目に備える。セーブしたあとの立ち上がり、体勢の作り直しが速い。
「そこは練習してきたのもあるんですが、僕はサッカーをやる前にブレイクダンスをやっていて。GKがセービングしたあとに起き上がる動きと、なんかちょっと似てるんですよね」
課題は一つではない。そのすべては伸びシロだ。
「試合に出続けることで身についていくところではあるんですけど、流れを読んだプレーの選択は課題ですね。大宮はハイラインでやっているので、僕らGKが最終ラインの背後をケアする判断とか、あとはやっぱりキック精度を上げなければというのは感じました」
GKのキック精度では、自身も意識する鈴木彩艶がトレンドだ。日本代表の正守護神は、1本のキックで局面を切り開く。
若林も「そうですよね」とうなずく。
「1本のキックでチャンスになる。GKがそういうパスをつけられたら、チームの武器になる。大宮のサッカーでもGKのキック精度はすごく大事なので、もっと精度を上げていきたいなって」
天皇杯直後のJ2リーグ第10節で、リーグ戦ではシーズン二度目のメンバー入りを果たした。そこからベンチ入りが続いている。
「メンバー外とは全然違います。サブでも試合に出る準備をしていくので、1週間のルーティンも変わります。試合に出る前提で過ごしていくので、筋トレとかをガンガンやるわけにはいかない。そこはちょっといま、難しいなと思っていて」
序列が変われば、日常が変わる。若林は「それも、うれしい悩みです」と続けた。
「パーソナルトレーナーさんとのトレーニングも、量を考えながらやっています。僕がメインでやっているのは、筋トレとかではなく反射神経を上げるトレーニングなんですが、毎週末の試合に出られるように体を整えながら、自分の課題と向き合っていくというのを、トレーナーさんと相談しながらやっています」
06
これからも“記憶に刻まれる瞬間”を
プロ入り前の歩みは控え目だった。
サッカーを始めたのは中学1年で、進学した狭山ヶ丘高校は全国的な強豪ではない。3年時にU-17日本代表候補のトレーニングキャンプに招集されたものの、誰もがその名を知る存在でなかった。
「GKは苦労している方も多いと思うんですけど、オーストリア2部でプレーしている相澤ピーターコアミ選手はお兄ちゃんみたいな存在なんです。プロ入りしてすぐに大きなケガをして、プロ6年目に栃木シティでJFLデビューをして、(2025年に)J3優勝に貢献して、今年から海外へ行って。彼のほうが苦労していると思いますけど、ちょっと経歴が似ていると言うか、すごく刺激をもらっています。僕も誰かほかのGKにとって、そんな刺激を与えられる存在になれたらな、と思いますね」
大宮の正GKを務めるトム・グローバーは、オーストラリア代表の年代別代表に招集されてきた。A代表での出場はないものの、招集歴はある。笠原はプロ16年目の経験者で、志村滉も複数クラブで10年以上の競争を重ねてきた。
「ホントにレベルの高い競争です。序列が入れ替わることもありますし、僕が練習からパフォーマンスを出せなかったら、また序列が下がる可能性も全然あります。練習から緊張感があって、気の抜けない日々が続いてます」
今日も、明日も、明後日も、1ミリだって妥協しない。大宮の正GKとなり、NACK5スタジアム大宮で勝利の凱歌をあげ、世界で戦う自分を思い描けば、ためらいなく自分を追い込める。
「天皇杯の浦和戦みたいに、いつチャンスが来るか分からない。いつ呼ばれてもいいように、日頃から準備する。それを続ける。それしかないです」
記憶に刻まれる日は、そうやって訪れる。これからも、きっと、何度も。
若林 学歩(わかばやし まなふ)
2004年3月10日生まれ。東京都出身。ポジションはGK。身長196cm。
狭山ヶ丘高校から2022年に大宮アルディージャへ加入。2025年にはいわてグルージャ盛岡、横河武蔵野FCへの育成型期限付き移籍を経験した。思うように出場機会を得られない時期もあったが、環境の違いに向き合いながら研鑽を重ね、横河武蔵野ではシーズン終盤の6試合に連続先発。2026年に大宮へ復帰すると、10月7日の天皇杯・浦和レッズ戦で先発出場を果たした。恵まれた体格を生かしたセービングを武器に、さらなる飛躍を目指している。
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戸塚 啓(とつか けい)
1991年から1998年までサッカー専門誌の編集部に所属し、同年途中よりフリーライターとして活動。2002年から大宮アルディージャのオフィシャルライターを務める。取材規制のあった2011年の北朝鮮戦などを除き、1990年4月から日本代表の国際Aマッチの取材を続けている。