【VENTUS PRESS】仲田歩夢

VENTUS創設時から4シーズンを経て、すっかりベテランとなった仲田歩夢 選手。全世代と一切の壁を作らず、ボーダーレスな印象がありますが、サッカー的にはしゃかりきタイプだと本人は語ります。そして、新たに加わった旧友についても語ってくれたVENTUS PRESSをお楽しみください。


Vol.68 文・写真=早草 紀子

「今思う理想は攻守のバランスを見ながら踏ん張れる存在であること」 仲田歩夢


――サッカーを始めたきっかけはお父さんなんですよね?

父がサッカーチームのコーチをしていたので…、といっても監督の立場の方は別にいたので、練習のときに何か言われるっていうのはあまりなかったですね。家の中ではサッカーの話は多かったけど、技術的なこと、サッカー的なことを教わったという感覚はなくて、のびのびやりたいことをやらせてもらっていました。逆に母は長くソフトボールをやっていたのでガッツリ体育会系で、メンタル系のことは母が結構…(笑)。サッカーしてたら転ばされることってあるじゃないですか。始めた頃なんて、それで泣いちゃうような子どもだったんですけど、「あんなので泣いてるようじゃサッカーできないよ! すぐに立ちなさい! 」ってよく言われてました(笑)。 

――そこから全国区の常盤木学園高校、INAC神戸レオネッサ、ユース年代では世代別代表選出…、かなり眩い道を歩んできたように見えますが、仲田選手にとってターニングポイントはいつだったんですか?
サッカーとちゃんと向き合う決断は高校進学を決めたときなんです。中学3年生のときに、常盤木から声がかかってなかったら、普通に地元の高校に行ってたと思いますね。高いレベルに挑戦したいと思えたのは中3のときに初めての代表選出が一つのきっかけでした。大会で上位に行けるチームでもなかったし、全国大会に出たこともなかったから、「何かの間違いじゃないか」って親とも話したことを覚えてます(笑)。思い当たることがあるとすれば中学3年間、ナショナルトレセンに選ばれてたから、それが目に止まったのか…。代表に呼んでもらう数少ない一人になれたことで意識が変わった。そのあと、常盤木から声がかかったので、やってみよう! という気持ちになりました。



――寮生活でサッカー三昧の常盤木学園高での3年間で得たものとは?
勝敗に対するこだわりは高校で強くなりました。それまでは人数も少なかったから当たり前のように試合に出ていました。強豪と言われる常盤木で、私は運よく一年生から試合に出させてもらいましたが、こんなにメンバーに入れない、試合に出られない人が出てくる環境が初めてだったんです。自分がやらなきゃ使われ続けない、自分が出ている代わりに出られない人がいる。そういう現実を始めて感じたのが高校時代でした。うー(齊藤夕眞)が一つ上にいたんですけど、その世代が20名ほど、私たちの世代が10数名、全体で50名弱いる部員でスタメン枠を競う――。練習から100%でやり続けないといけないことを実感しました。

――今だと時折FKも狙いますけど、キック力はいつ頃育まれたのでしょうか?
サイドだったからCKは蹴ったりしていて、わりとパワーがある方だったので、高校世代でもけっこう蹴れてたと思います。特別キックの練習をしたわけじゃないですけど、人に合わせてボールを蹴るのは好きでした。直接ゴールの枠を狙ったFKは今の方が狙いたいというか、もっと練習しとけばよかった(苦笑)。空間で人に合わせることはしてきたけど、枠を捉えるっていう必要がなかったから…。最近はわりと近い位置でFKを蹴ることもあるんですけど、感覚が違うのでほんとにもっと練習しとけばよかった! …まだ間に合うかな(笑)。



――今の仲田歩夢が理想とするプレーは?
もちろんゴールを目指したいし、高い位置でボールを運びたいというのがありますけど、攻撃してるだけじゃダメ。守備とのバランスを考えながら、攻撃になったタイミングでそこにパワーを使えることがめちゃくちゃ理想! 勝てない時期はなかなかボールに触れなくて、どんどん押し下げられて守備の時間が増えて、マイボールになっても守備に疲れてて、攻撃にパワーをかけられない悪循環になってた。最低限の守備の能力は前めの選手でも持ってないと、攻撃だけじゃダメ。今、イノ(井上綾香)とかうーがあれだけ頑張ってくれるだけで、全然違うじゃないですか。後ろ向きになったときの守備がウチらは弱かったなって改めて感じて、改善できつつあると思う。攻守のバランスを見ながらここぞのところで踏ん張れる存在はチームを助けますよね。そういうのが理想です。



――上が抜ければ必然的に押し上げられて、今や仲田選手がベテラン枠のど真ん中にいます。そこに旧知の仲の齊藤選手が加入してまたチームメートになりました。
同じチームでプレーできることなんてないと思ってたので、うれしかったしびっくりしました。でもウチの親が「また同じチームになれて良かったね! 」って一番喜んでます(笑)。うーは私たち時代の中心選手だったし、高校で私が衝撃を受けた選手だったので、変わらずうまいな~って思ってます。体は今よりもデカかったんですよね。この人、うまいけど体が大きいからきっと体力はないんだろうなって、走れないだろうなって思ってたんですよ。でも常盤木に入って初めて12分間走みたいなのをやったときに、誰よりも余裕で一番距離を走ってて…、うまくて、大きくて、さらに走れるんかーい! って(笑)。ヤバいなこの人って思いましたよ。

――その二人がベテラン選手としてVENTUSを牽引しています。
コミュニケーションの重要性は分かっているので、言おうと思えば強く要求できる立場にあるけど、口だけになってできてないことが増えたり、体が動かなくなったりしてるようじゃダメだよねっていうのはこの間、ちょうど話しました。自分への圧が…(苦笑)。そこの責任は果たさないと。自分とかうーはそういうタイプなんですよ。ウチらはしゃかりきタイプで、それができなくなったらもう終わりだね、ってうーとは話してます。

――出場の機会を求めてVENTUSへやってきました。主力としてプレーする中で見えたものは?
ピッチに立っている11人でどういうサッカーをするか、ゲーム全体のことを考える視点が生まれました。試合を読み解く面白さというか…、途中出場だとその時のスコアでプレーを選ばないといけなくもなるじゃないですか。全体のことにフォーカスできなかったことが、最初から試合に出ることで全体を見るようになった。今日のFWだったらこういう位置取りをしたほうが良いとか、そういうのを考えるのは楽しいし、もっと引き出しを増やしたいって欲も出てくる。選手の組み合わせによってもまた変わってくるし、サブ時代はそこまで考えられなかった。



――サッカーとは異なる世界も広げてる仲田選手ですが、そういう外とつながるっていうのは何かきっかけがあったんですか?
私が20歳になるかならないかくらいの時にSNSが広まって、自分で発信できるようになったんですよ。今でこそみんなアカウントを持ってるけど、当時は持っているほうが珍しくて、自分を知ってもらうための唯一のツールでした。最初は何か目的があってということではなく、自分の好きなことを発信しただけだったんです。こんなに見てくれる人が増えると思ってなかったので…。でもSNSから自分を知ってくれた人も多くて、そこからサッカーしてる姿のほうが後付けっていうのも珍しくない。個人から入ってもらってチームにつながっていく実感はありますね。自分がきっかけであっても、ピッチ上には何人も選手がいるので、そうやって女子サッカーを見てくれる人が広がっていってくれれば…、それはうれしいことです!

――これまでにも、いろいろハマりものを聞いてきましたけど、仲田選手がこれまでの人生で一番沼ったものってなんですか?
それはやっぱり…、推し活! 若いときに一番追ってたのはHey! Say! JUMPです(笑)。意外ですか(笑)?でも、最近は韓国アイドルかな。ファンクラブも入って、ライブも行って、グッズも買ってます(笑)。推し活はやっぱり楽しいですよね!

――いろいろあった今シーズンも残すはあと1試合になりました。
後半戦に入って、もったいないな、勝ち切れたなって試合も多かったけど、本当に前半戦に比べたら勝点だけを見てもしっかり重なってるし、無失点の試合もありました。後半戦は前線に入ってきてくれた選手の力もあって、変わった姿はお見せできてると思います。残り1試合、内容も大事だけど、勝点3を取ることにフォーカスして試合に臨みたいです。VENTUSとして戦える最後の試合。VENTUSとして戦えてよかったと思えるよう、悔いなく戦います!


早草 紀子(はやくさ のりこ)
兵庫県神戸市生まれ。東京工芸短大写真技術科卒業。1993年よりフリーランスとしてサッカー専門誌などへ寄稿する。女子サッカー報道の先駆者であり、2005年から大宮アルディージャのオフィシャルカメラマンを務める。

FOLLOW US