ピッチで戦う選手やスタッフの素顔や魅力を、アルディージャを“定点観測”する記者の視点でお届けする本コーナー。今回は、6月9日にサンフレッチェ広島から期限付き移籍で加入したイヨハ理ヘンリー選手について、ユース時代から知る広島の寺田弘幸記者に紹介してもらいました。
【ライターコラム「春夏秋橙」】寺田 弘幸
重ねてきた挑戦と、備わった強い意志。いざ、自身の価値を証明するとき
明確な目標を“公言”できる芯の強さ
ナイジェリア人の父と日本人の母の間に生まれ、東海地方の名門クラブ・FCフェルボール愛知で頭角を現したイヨハ理ヘンリーは、中学3年生の夏に広島ユースでプロを目指すことを決めた。そして高校3年生の夏、イヨハは広島とプロ契約を締結。目標を実現してみせた。
プロになるまでの道は順風だったと言っていいが、プロになってからは険しい道を歩んできた。2017年のルーキーイヤー、天皇杯1試合の出場にとどまると、左利きのDFは武者修行の旅に出ることになる。2018年からはFC岐阜で3年間プレーし、2021年は鹿児島ユナイテッドFC、2022年はロアッソ熊本、2023年は京都サンガF.C.。J3のカテゴリーも経験しながら力をつけてステップアップを遂げ、2022年に熊本でJ1参入プレーオフ出場に貢献すると、2023年には京都でJ1デビューを飾った。
そして2024年、イヨハは7年ぶりに広島に戻ってきた。25歳になったDFは紫のユニフォームに袖をとおして戦えることを喜び、真っすぐ前を見つめて強い意志を口にした。
「翔くんに勝つために戻ってきた。僕にはそういう気持ちがあります。自分がさらに成長するために翔くんは必要な存在だと思っていますし、僕が代わる存在になっていきたいと思っています」
佐々木翔。広島のキャプテンを務めるDFは、森保一監督からも日本代表にたびたび招集されてきたリーグ屈指の実力者である。その選手と競ってポジションを奪うために広島へ戻ってきたイヨハは、自分を信じて我慢強く機会を待った。
【広島の絶対的な主将である35歳の佐々木】
ケガを負っていたためシーズン序盤はリハビリを続けることになり、ケガが再発する苦しさをも味わった。歯がゆい日々が続いても、目標はしっかと定まっているから気持ちが折れることはない。ケガが癒えたイヨハは真摯に練習と向き合い、ミヒャエル・スキッベ監督とチームメートの信頼を少しずつ集めていった。
つかんだチャンスと、渇望感
チャンスは突然、訪れた。シーズンはもう折り返し地点を過ぎた7月。第24節のサガン鳥栖戦。佐々木が体調を崩して急きょ出番が回ってくると、イヨハは勝利に貢献してみせる。プロになって8年目のシーズンで初めて広島の勝利に貢献できた喜びは大きかったが、それよりも渇望感が強く湧いてきた。
「これまでもレンタル先でカテゴリーとか関係なく、いつもどおりに試合に臨む気持ちを持ち続けてきました。その経験があったから落ち着いてプレーできましたし、チームが勝って最少失点にも抑えられました。それは本当に良かったですし、つぶすことも含めて少しは自分の良さを出せましたけど、物足りない部分もすごくあった。本当に最低限のことができたという印象で、もっともっとやらないといけないと思います」
【鳥栖戦で勝利に貢献し、歓喜の表情を見せるイヨハ】
次のチャンスをつかむためにイヨハはエネルギーを溜めていく。地上でも空中でも対人は強く、攻撃に出ていく巧さもある。持ち味を磨くことに注力してトレーニングに励んだが、シーズン後半戦は佐々木の圧巻のパフォーマンスを間近で見ることになった。紫のキャプテンは第25節以降、全試合フルタイム出場を続けた。イヨハのつけ入るスキがまったくなかったと言える状況だったことは、シーズン終了後に佐々木がJリーグベストイレブンを受賞したことからも明らかだ。
大宮で結果を残すことこそが次なる目標
2025年シーズンもイヨハはさらに強い気持ちをもって臨んでいた。
「翔くんがベストイレブンを獲ってくれて良かったです。それだけの選手を超えるのが一番分かりやすいんで。去年はあらためてすごい選手なんだなって自分も実感しましたけど、その上でもう一回、ポジションを取りにいきます。本当にやりがいがあるなと思っています」
しかし、今年も佐々木の壁は高かった。イヨハも万全のコンディションを整えられなかったが、シーズンが半分を過ぎたところで出場機会がなく、イヨハは葛藤した末に再び広島を出る決断をした。
「自分もこのチームでポジションをつかみたいと思ってやってきたし、クラブとしても自分みたいに何年もレンタルにいって戻ってきてもなかなかうまくいっていない選手がポジションをつかむことはすごく価値のあることだと思っていた。だから、ここで挑戦を続けようと思っていましたけど、徹さんがいる大宮に呼んでもらえたことがうれしくて。ワカさんも含めて自分の良いところも悪いところも知ってもらえている方たちにもう1回鍛えてもらいたいと思い、大宮へ行くことを決めました」
京都時代に指導を受けた長澤徹監督と若宮直道コーチの存在がとても大きかった。
「オファーをいただいてから徹さんとも話させてもらったんですけど、『熊本のときにはあと一歩で昇格できなかったから、ぜひ大宮で昇格してくれ』と言ってもらえて、ワカさんにも『人生の宿題はずっとついてくるものだ』って言われているので、大宮でちゃんと宿題を終わらせてこようと思います」
イヨハは自分に結果を求められていることがうれしそうで、これまでの期限付き移籍とは違う感情をもって大宮へ向かった。
「広島に戻ってきて1年半、もっとやれたと思うし、もっとやりたかった。何かを発揮できたわけでもなかったので、悔しさがすごくあります。こういう感情は今までになかったものですし、この悔しさを大宮でぶつけていきたい。この時期に出ることについて賛否があることも分かっています。もう自分がプレーで示すしかないし、今年が終わったときにすっきりとした気持ちでいれるように頑張ろうと思います」
つねに明確な目標を定め、それを達成するために突き進む。イヨハのその信念は決してブレない。そして、大宮で結果を残すことがこれからの“目標”だ。
これまでの期限付き移籍は成長するためだったが、今回の移籍は結果を残して自分の価値を証明するためのものになる。