ピッチで戦う選手やスタッフの素顔や魅力を、アルディージャを“定点観測”する記者の視点でお届けする本コーナー。今回は、6月10日に水戸ホーリーホックから完全移籍で加入した津久井匠海選手について、今季ここまでの半年間取材をした、水戸の佐藤拓也記者に紹介してもらいました。
【ライターコラム「春夏秋橙」】佐藤 拓也
JFL、J3、J2。這い上がってきた男は誰よりも強い
サイズを生かした突破と高い守備意識
6月10日、津久井匠海の大宮への移籍が発表された。
今季、J3のアスルクラロ沼津から水戸に加入した津久井は、第18節までリーグ戦全試合先発出場を果たし、現在2位につけるチームの躍進に大きく貢献してきた。
サイドアタッカーとして水戸の攻撃を引っ張ってきた津久井の魅力は突破力。スピードとテクニックを駆使しつつ、さらに180cmというサイズを生かした力強さも備えている。相手DFに体を寄せられても、当たり負けせずにドリブル突破してチャンスを作り出す場面を何度も見せてきた。また、水戸では試合によって、サイドの高い位置に張り、相手のプレッシャーを回避するためのロングボールの受け手としても重要な役割を担っていた。
そして、守備をベースとしたチーム作りを行う森直樹監督から絶大な信頼を得られたのは、高い守備意識を持っていたからだった。ハイプレスにおける強度の高さはもちろん、攻守の切り替えも早く、プレスバックの動きを怠ることは一度もなかった。津久井が必死に自陣に戻ってピンチを未然に防ぐことは、当たり前のように起きていた。第19節終了時点でリーグ2番目に少ない15失点の堅守を作り上げることができたのも、津久井の献身性があったからだ。
水戸での半年間を振り返り、「自分の持ち味である推進力や球際の強さ、デュエルの部分は、水戸に来てもっともっと成長できました」と語った。さらに、「水戸では左右両サイドでプレーしましたし、ウイングバックでも起用してもらいました。いろいろなポジションをやらせてもらったことで、プレーの幅が広がって、自分の可能性を自分でより見いだすことができましたし、自分をより信じられる要因になりました」と胸を張った。
沼津時代は[4-3-3]の右ウイングで起用されることがほとんどだったが、水戸では[4-4-2]のサイドハーフでプレー。どちらかのサイドに固定されることなく、試合によって起用されるサイドは異なり、試合中にサイドを変えることも珍しくなかった。また、水戸は[4-4-2]をベースとしながら、3バックに可変することも多く、その際にはウイングバックの位置に入った。どのポジションでプレーしても、持ち味を発揮しながら津久井匠海というプレーヤーの可能性を広げていった。
横浜FMでのプロ契約と、18歳で味わった挫折
群馬県出身の津久井は高校時代から横浜F・マリノスユースに所属。高校3年の7月にトップ昇格が決まり、プロ契約を締結した。しかし、同年は出場機会がなく、高校卒業後はJFLのラインメール青森に期限付き移籍で加入した。横浜FMのトップチームで活躍することを夢見ていた津久井にとって、それは小さくない挫折であった。
「横浜FMとプロ契約してサッカー選手としての人生がスタートしたのですが、高校卒業後はJFLのチームでプレーすることとなり、サッカー人生は甘くないし、思い描いたとおりにいかないんだなと痛感しました」
18歳で味わった挫折。青森の地でサッカーに打ち込む日々を過ごしたものの、本当にここから這い上がることができるのかという不安がつねにつきまとった。Jリーグや海外で活躍している選手の姿を見るのがつらいときもあった。
「サッカーをやめようと考えた時期もあった」
そう当時の心境を明かした。だが、嘆いていても、何も変わらない。
「とにかく自分を信じて、目指しているところを見失わず、頑張っていこうと思ってサッカーに打ち込み続けた」
そして、JFLの青森に2年間、J3の沼津に2年間在籍。昨季、沼津でリーグ戦全38試合に出場して9得点を挙げた活躍が評価されて、水戸からオファーが届き、J2の舞台でプレーすることが決まったのだった。
どん底を知るからこそ、歩みは止めない
一度はどん底に落ちたものの、夢をあきらめることなく、JFL、J3、J2と這い上がってきた。だからこそ、誰よりもキャリアを上り詰めることにどん欲で、強い向上心を持っている。
そんな津久井は早速、第19節のV・ファーレン長崎戦で大宮デビューを飾った。
77分から投入されると、勝利は逃したものの、推進力を生かした突破など能力の高さを垣間見せた。
「大宮の選手としてデビューできたことは僕にとって本当に価値のある一歩」
そして、こう続けた。
「ここで満足したら意味がないので、このチームに何を還元できるかをもっともっと考えて、練習からやっていきたい」
さらなる高みを目指して、大宮で戦うことを決意した23歳。J1へ、日本代表へ、そして世界へ。新たな挑戦がはじまった。