【Otten Innovation Cup 参加レポート】選手もスタッフも得た学び。大会参加の意義と収穫

今回は、8月15日からオランダで開催された『Otten Innovation Cup』(オッテン・イノベーション・カップ)のレポートをお届け。橋本早十ヘッドオブスカウティングと酒井舜哉選手の言葉をもとに、大会参加の経緯やそこで得た収穫、そしてそこからつながる次へのトライについて、クラブオフィシャルライターの戸塚啓さんにまとめていただきました。


選手もスタッフも得た学び。大会参加の意義と収穫


はじまりは「グループとして若い選手をどう育てるか」

レッドブルグループの一員となったことで、RB大宮アルディージャはアカデミーの活動もグローバルになっている。RBライプツィヒ、ニューヨーク・レッドブルズ、レッドブル・ブラガンチーノ、それにRB大宮アルディージャから育成年代の選手が集まり、RBライプツィヒU-19として国際大会に出場したのである。オランダのPSVアイントホーフェンの施設で行われた『Otten Innovation Cup』に、U18所属の酒井舜哉、小林柚希、神田泰斗、中島大翔の4選手が参加。U18の丹野友輔監督も帯同した。

大会参加の経緯を、橋本早十ヘッドオブスカウティング(HOS)はこう話す。

「レッドブル側のHOSと日ごろからコミュニケーションを取っているのですが、グループとして若い選手をどう育てるか、という話を頻繁にしています。そういう中で合同チームを作って参加することになり、スタッフも一人ずつ派遣して交流をはかろう、と」

合同チームは8月11日からライプツィヒで練習をスタートさせ、15日から大会に臨んだ。グループステージではホストのPSV、クラブ・ブルッヘ(ベルギー)、ベンフィカ(ポルトガル)と対戦した。

橋本HOSは、「レベルは高かったですよ」と言う。

「ほかのチームは単独ですが、われわれは合同チームだったので、そこの難しさはありましたね。ライプツィヒのU19は(同時期に)カップ戦があって、主力がそちらに出場していてU16の選手がいたりしました。言葉の壁がある中で、年代別代表に選ばれている酒井や神田は、積極的に話しかけようとしていました。小林と中島も、そういった部分はこれから必要になってくると思います。ただ、小林と中島は普段と違うポジションで起用されたりもしていて、本来のポジションでやらせてあげたかった、というのはあります」

日本とのピッチコンディションの違いにも、すばやくフィットしなければならない。持ち味を発揮するのは難しい状況だったことを理解しつつ、橋本HOSはこう指摘する。

「ライプツィヒで練習をやっているときとか、試合の合間の練習では、4人ともやれるなという感覚は得ていたと思います。僕から見てもやれていました。でも、大会になるとやっぱり違う。難しい状況の中でも、自分を表現しないといけない。自分の価値を示さないといけない。その大切さを、彼らは肌で感じたと思います」

指導者側にも気づき。そして生まれた変化

ブラガンチーノ所属のブラジル人SBは、なかなかパスを出さなかった。日本人からするとわがままで自分勝手にも映るが、ドリブルがうまい、足が速いといった特長が見えやすい。

「グループステージ後の順位決定戦には、ライプツィヒU19の中心選手が合流しました。1試合目ではチェルシーに3-1で勝利しました。われわれの選手たちは、酒井と中島は出られず、小林と神田はコンディション不良で離脱していました。で、ブラガンチーノのSBは出たんです。選手たちには『悔しいけど、自分の価値を証明できなかったな』という話をしましたが、それでも得るものは大きかったでしょう。いいサポートを得られなくても自分でシュートまでもっていくとか、もっと『個』を磨かなきゃいけないし、環境に適応するために何をしなければいけないのかを考えなければいけない。僕自身の立場で言えば、自分で考えて表現できる選手を育てていかなければ、と感じました。そういう選手が世界で活躍すると、あらためて認識しました」

丹野監督はどうだったのだろう。橋本HOSがこう説明する。

「言葉の問題で最初はちょっと遠慮するところもあったと思いますが、徐々に慣れていきました。大会2日目から選手の出場時間をチェックするといった役割を任され、そこからベンチにも入りました。練習メニューなどに日本と大きな違いはないけれど、実際に自分の目で見ると感じるところはあったでしょうね。レッドブルグループ全体として、選手に対する声がけはポジティブなものが多い、といった気づきもありました」

丹野監督の帰国後、U18の練習光景にちょっとした変化があった。

「向こうの選手たちは、僕らに対しても握手をしにくるんですね。スタッフと選手の距離が近い。丹野もそれを感じたらしくて、選手とスタッフが握手をするようになっていました。ちょっとしたことですけれど、信頼関係が深くなることにつながっていくのでは」

大宮を代表して。酒井の積極的な挑戦

『Otten Innovation Cup』に出場した選手の声も聞いてみよう。4人を代表して酒井が答えてくれた。

「今回の大会ではRBグループが一つに集まる合同チームで戦うため、CBとしてより一層チームを引き締め、統率をとる必要があると感じていました。言葉があまり通じない中でも積極的にコミュニケーションを取り、一つのチームとして大会に挑んでいくことを意識していました」

大宮を代表してプレーする、との思いも強かった。

「大宮アルディージャがRBグループの一員になり、世界に自分の実力を示すいい機会をいただけたので、毎試合全力でプレーすることを心がけ、大宮がより注目を浴びるようにと思ってプレーしました」

2026年度のトップチーム昇格が決まっている酒井は、190cmのサイズを誇る。その高さは対世界でも強みとなるはずだが、年代別代表に招集されているこの18歳は、海外では自分より長身の選手もいるとの現実も知る。そのため、今回の合同チームで存在感を示すにあたっては、「自分の得意な守備での対人やヘディングなどの強みを出すことは忘れずに、駆け引きや予測、準備の部分を意識してプレーしました」と話す。

今回の活動では、ミーティング以外は通訳がつかなかった。RBライプツィヒのアカデミーでは、日本人の荒岡修帆氏がフィジカルコーチを務めている。『Otten Innovation Cup』にも帯同していたが、「基本的に選手たちにやらせよう」(橋本HOS)との方針が確認された。

酒井は積極的にコミュニケーションを取っていったようだ。

「自分はドイツ語を理解できませんが、英語ならある程度は理解できたので、自分が聞いて分かったことはほかの3人に伝えたりして、協力してプレーしていました。他国の選手とは日本のアニメ、漫画の話などでコミュニケーションを取り、親睦を深めていました」

ピッチ上では苦い経験もした。クラブ・ブルッヘとの大会初戦で、前半開始早々にレッドカードを受けてしまったのである。日本よりも緩いピッチに足を取られ、ファウルで止めざるを得ない状況へ追い込まれたのだった。

「RBライプツィヒは守備時の戦術として、マンツーマンを用いていました。自分はCBなので、後ろに味方のカバーがいない状況です。あのプレーを振り返ると、一つの判断ミスが結果的にファウルをして止めることにつながってしまいました。海外では味方のカバーを待つのではなく、自分一人で何ができるのかを求められるので、ボールを奪うことをより意識し、守備範囲をさらに広くする必要があります。走力の部分、予測、判断のところをより伸ばしていけるように普段の練習からやっていきたいです」

広がる輪と、次へのトライ

大会終了後も、世界との遭遇は続いた。酒井はオランダから日本へ帰国せず、そのままアメリカへ移動。ニューヨーク・レッドブルズのセカンドチームのトレーニングに参加したのである。

「Otten Innovation Cupの経験は、ニューヨークでより多くの選手やスタッフとコミュニケーションを取ることに生かされています。名前を覚える、コーチングを正確に伝えるなど、主体的にプレーできています」

橋本HOSによれば、レッドブルグループ内で『Otten Innovation Cup』を振り返り、「またトライしよう」との声があがっているという。今回のような合同チームだけでなく、それぞれのクラブが単体で出場することも視野に入る。

「僕らがオランダへ行っているときに、小池直文アカデミーダイレクターがザルツブルクへ行きました。U16のレッドブル主体の大会の視察で、各チームのアカデミーダイレクターが集まり、ユルゲン(・クロップ)も加わって話をしてきたそうです。そこで『来年はこっちの大会にも参加してほしい』と言われたりもしています。すべてに参加するかどうかはともかくとして、チームで行く可能性もあるし、個人で行くのもあるかな、と思っています」

アカデミーから選手が海外で経験を積み、指導者もさまざまなトレーニングに触れる。これこそが、レッドブルのグローバルネットワークの一員となった大きなメリットだろう。4選手がオランダで見聞きし、酒井がニューヨークで得た経験は、U18チームの財産としても今後に生かされていく。


戸塚 啓(とつか けい)
1991年から1998年までサッカー専門誌の編集部に所属し、同年途中よりフリーライターとして活動。2002年から大宮アルディージャのオフィシャルライターを務める。取材規制のあった2011年の北朝鮮戦などを除き、1990年4月から日本代表の国際Aマッチの取材を続けている。

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