【世界に羽ばたけ #大宮のイチハラリオン】移籍前ラストインタビュー「日の丸を着けてW杯でプレーするのが夢です」
AZアルクマールへの完全移籍が発表された市原吏音選手の、移籍前ラストインタビュー。クラブオフィシャルライターの戸塚啓さんが、移籍を決めた背景、大宮のチームメートやファン・サポーターへの想いなどを聞きました。



市原吏音「日の丸を着けてW杯で、応援してくれるみなさんの前でプレーするのが夢です」



ついに訪れたこのとき


ついに、である。

市原吏音が、戦いの舞台をヨーロッパへ移す。1月26日に海外クラブへの移籍を前提としたチーム離脱が発表され、同31日にオランダ・エールディビジのAZ(アーゼット)アルクマールへの完全移籍が発表されたのである。

市原は昨年末からU-23日本代表に名を連ね、AFC U23アジアカップに出場していた。キャプテンとしてチームをまとめ上げ、2大会連続の優勝に大きく貢献した。

24日の決勝戦から2日後の26日正午過ぎに帰国し、成田空港近くのホテルでメディアの取材に応じた。翌27日には西大宮のクラブハウスを訪れ、チーム関係者に挨拶をした。

疲労感は漂っていないが、眼が充血していた。「眠れていない」のだという。時差ボケがあるだけでなく、それだけあわただしいスケジュールで動いているのだろう。予定が行列を成している中で、インタビューの時間を作ってくれた。

「熱量が一番強かった」。AZでの挑戦を決めた背景

まずは、エールディビジとAZの印象を聞く。

「オランダリーグは日本人選手が多くプレーしていて、ある程度日本人への理解もある。国民性を考えても、日本人がフィットしやすいリーグかなと思いました。クラブには代表選手でもある毎熊(晟矢)さんもいますし、日本人のトレーナーの方、世話役をしていただける女性の方もいると聞きました。ヨーロッパでのファーストステップとして、これ以上ない環境というか。何不自由ない環境じゃないかなと思います」

オファーは一つではなかった、と言う。

「その中で、最初にオファーをくれたのがAZでした。移籍のタイミングって、夏と冬があるじゃないですか。代理人の方ともいつがいいんだろうというのを、これまで何度も話してきました。AZはずっと自分にアプローチしてくれて、自分をホントに欲しいという熱量が一番強かったクラブだと感じたんですね。他のリーグへ行く選択肢もありましたけど、僕自身としては迷わずにAZへ行きますと伝えました」

高校3年生でJリーグデビューを飾った2023年は、デビュー後のリーグ戦全試合にフル出場した。2024年と2025年はアンダーカテゴリーの代表活動に招集されながら、大宮で出場機会をつかんでいった。



昨秋には自身初となる世界大会として、U-20W杯に出場した。今年1月にはU-21世代のメンバーでU23アジアカップに挑み、見事にアジアの頂点に立った。

国際大会で手ごたえをつかんできたことが、今回の決断を後押ししたのだろうか。市原は「多少なりともそういうところはありますけど」と切り出し、率直な思いを明かしていく。

「U-20W杯で世界の舞台を戦ってみて、海外に挑戦したいなと思ったところはあります。そのうえで、自分の中ではJ2リーグでどれぐらいできるのかというのを、一つの指標にしていました。2023年にプロデビューしたのがJ2で、2025年にまたJ2でプレーして、デビュー当時との比較で成長を実感することができた、というのがあります。僕は大宮が好きですし、国内で移籍をするつもりはなくて、海外へ行くなら大宮からっていうのは決めていました。そのタイミングを、ずっと見計らっていたということです」

「日本代表として」。その想いはブレない

2027年のロサンゼルス五輪出場を目指す同世代を見渡すと、すでにヨーロッパでプレーしている選手は少なくない。「だから自分も、という気持ちはなかったし、それが今回の移籍の理由でもないです」と市原は言う。冷静かつ的確な自己分析と現状認識は、クレバーなCBの市原らしい。

「行くからには1年とか2年で帰ってくるようなことがないように、と考えてきました。向こうへ行ってしっかり活躍して、きちんとプレーして帰ってくるっていうのが自分のプランなので、それをできるのはいつなんだろう、と。自分の実力も、どのクラブへ行くのかのタイミングもしっかり見計らって、今の自分ならこの冬に行って活躍できるというプランもあります。W杯もあるので、そこを見据えて、最後に滑り込みでも入れるように頑張りたいなと思います」

U23アジアカップ優勝を決めた試合後のインタビューで、市原は「W杯を目指して頑張りたいです」と話した。ロサンゼルス五輪世代から日本代表入りしている選手もいる中で、彼自身も森保一監督が指揮するチームへの入り口が見えているのだろうか。

「いや、まったく見えてないっすね。まだ、まったく見えてなくて」と、市原は苦笑いをこぼす。「ただ、なんて言ったらいいのかな……」と、言葉をつないでいく。「見えていない」という現状を踏まえたうえで、彼は可能性に賭けていく。

「日本代表のCBにケガ人が出ている中で、このタイミングで自分が海外へ挑戦して、ある程度のパフォーマンスと結果を残すことができれば、チャンスはあるんじゃないのかな、とは思います。けれど、まだ向こうへ行ったわけでもないし、スタートラインに立ったわけでもないので、謙虚にやっていきたいと思います」

海外移籍を考えるようになったそもそものきっかけは、「日本代表として戦いたい」とのまっすぐな思いだ。日本代表選手のほとんどがヨーロッパでプレーしているのなら、同じ舞台に立つことで代表入りの扉を開くことができるのでは、と考えてきた。

「小さいころから海外で、っていう感じではなくて、最近の日本代表を見て、やっぱり海外でやらなきゃそこに入れないなって思ったのはあります。去年ぐらいから少しずつ現実的にというか、視野に入れるようになりました」

ヨーロッパにおけるオランダリーグの位置づけは、5大リーグへの玄関と言っていいだろう。市原の新天地となるAZからは、菅原由勢(現ヴェルダー・ブレーメン)がイングランド・プレミアリーグへの移籍を果たしている。

市原自身のキャリアデザインは?

「さっきも話したように、僕はあまりクラブに対するこだわりがないんです。日本代表になるためにヨーロッパのクラブで活躍する、という感じなんです。日の丸を着けてW杯で、応援してくれるみなさんの前でプレーするのが夢です。そこから5大リーグへ挑戦したいなとは思いますけれど、まずはやっぱりオランダでしっかり結果残すことが一番です。なるべく早くAZでピッチに立って、いい報告ができるように頑張りたいです」



忘れられない、数々のゲーム

2023年7月の公式戦デビューから、市原吏音はJ2で46試合、J3で31試合に出場してきた。背番号43を着けたデビューシーズンから、馴染み深い4番を背負った2024年と2025年まで、稼働3シーズンとは思えないほどのインパクトを記した。

その中から、思い出深い試合をあげてもらう。

「まずはやっぱり、Jリーグのデビュー戦ですね。栃木SCとのホームゲームです」

2023年7月12日の天皇杯3回戦で、市原はクラブ史上最年少となる18歳5日でトップチームデビューを飾った。J1のセレッソ大阪とのゲームは1-3で敗れたものの、市原のパフォーマンスは2種登録選手という立場を感じさせないものだった。原崎政人監督(当時)は、4日後の栃木戦で18歳になったばかりの彼をスタメンで起用したのである。

「NACK5スタジアム大宮でやったあの栃木戦で、プロってこういう感じなんだ、こういう雰囲気で試合ができるんだっていうのを、初めて体感することができました。試合が始まったときの胸の高鳴りというか、鳥肌が立ったことを覚えています。何より、楽しくプレーできた。あの試合を忘れることはないですね」



少年団でサッカーをしていた当時から、NACK5スタジアム大宮へ通っていた。公式戦の前座試合に出たこともある。「もちろん、特別な場所です」とうなずく。

「アウェイチームの選手と話しても、『やっぱり、NACKはいいよね』ってなるんです。僕だけじゃなくて、誰もがこのスタジアムに立つと、より楽しくサッカーができるんじゃないかなと思います」

ここ最近の試合では「やっぱり、プレーオフです」と言う。昨年12月のJ1昇格プレーオフは、あらためて振り返らなくてもいいだろう。

市原の表情に、険しさがにじんだ。

「プレーオフのジェフユナイテッド市原・千葉戦は、僕にとってもファン・サポーターのみなさんにとっても、辛い結果でした。でも、ファン・サポーターのみなさんのほうが、苦しいと思うんです。3-0になったところで『勝ったな』と思ったでしょうし、僕自身もあそこから負けるなんてことがあるんだ、という……。あの試合については、ホントに申し訳ない気持ちが強いです」

Jリーグのピッチに立つ市原は、決して慌てることがなかった。追いかける展開でも、追い詰められた展開でも、冷静さと落ち着きを失わない。それだけでなく、周囲の選手を鼓舞していった。年上の選手にも物怖じすることなく指示を出し、ときには厳しい言葉を投げかけ、チームメートと良好な関係を築いていった。彼のコミュニケーション能力は「授けられた才能」と言っていいだろう。

そのうえで、いつでも楽しそうにプレーしていた。観ているこちらの心ははずみ、気がつけば視線を奪われていった。

「いやもうホント、先輩に恵まれて、監督にも恵まれて、のびのびプレーさせてもらっていたので。周りに支えてもらいました!」



監督、先輩からの背中を押すメッセージ

チームは1月初旬に始動して新シーズンに備えてきたが、市原はU23アジアカップに出場していたため不在だった。その間に、チームからの離脱が発表された。

宮沢悠生監督からは、SNSでボイスメッセージが送られてきたという。

「おめでとう、頑張ってこいよ、という感じでした」

チームメートには、SNSなどを使ってこれまでお世話になった感謝を伝えた。27日のミーティングの冒頭では、挨拶をする機会も得た。

「ひととおり連絡をしたと思っていたら、(浦上)仁騎くんだけ忘れちゃいまして。あっちから『行くのか?』って連絡をもらって。やっちゃいました……。仁騎くんが大宮にいる間は、一緒にスプリントとかヘディングの練習をして、一番って言っていいぐらいにお世話になったのに。でも、わざわざDMもくれて、『お互い頑張ろう』って。やっぱりいい先輩です」

市原吏音から、RION ICHIHARAへ

RB大宮アルディージャの選手が海外へ移籍するのは、市原が初めてとなる。アカデミー出身の選手がトップチームからヨーロッパのクラブへ移籍するのは、奥抜侃志(現ガンバ大阪)に次いで2人目だ。

その意味と責任が、強い覚悟となって市原を包んでいる。

「アカデミー出身の後輩たちや、今アカデミーで頑張っている選手たちに、背中で見せていかなきゃいけないと思っています。これからどんどん、どんどん、若い選手が海外へ行くようになると思います。僕が先陣を切っていけるところまで、どんどん上を目指すことで、後輩たちが続いてくれればいいかなと」

ファン・サポーターには、どんな思いを伝えたいのだろう。胸にあふれる思いを、市原は言葉にしていく。

「高校3年生でデビューしてから、ものすごい声援をいただいて、すぐにチャントとかも作っていただいて。めちゃくちゃ応援してもらっているのはもちろん伝わっていましたし、大宮を離れた代表活動のところでもしっかり応援してくれているっていうのも伝わっていました。ホントにもう、感謝しかないです。ファン・サポーターのみなさんにも育てていただいたので、まだこのクラブを離れることになかなか実感がわかないというか。僕はこのクラブしか知らないですし、移籍をするのも初めてですし、違うユニフォームを着るのも初めてなので、最初はたぶん戸惑うと思うんです。そんな戸惑っている自分を見て、これまでと同じように見守ってくれればうれしいです」

別れはいつも寂しい。ただ、別れがあるから再会がうれしい。

「あっちの試合もテレビで観ることはできますし。僕のSNSもぜひ見てくれたらうれしいですね。リーグ戦が終わって一時帰国したタイミングとかで大宮の試合があれば、NACK5スタジアム大宮にもぜひ行きたいです」

RB大宮アルディージャの市原吏音から、AZの市原吏音へ。

そして、日本を代表するCBへ。

「ここまで来るのにいろいろありましたけど、このクラブが一番成長できると思ってやってきました。今このタイミングで移籍するという選択は、間違っていないと思っています。いよいよ来た、という感じです」

1月30日にオランダに到着した市原は、メディカルチェックを経て正式契約にサインした。

RION ICHIHARAの名前が、オランダから世界へ響き渡る──。




戸塚 啓(とつか けい)
1991年から1998年までサッカー専門誌の編集部に所属し、同年途中よりフリーライターとして活動。2002年から大宮アルディージャのオフィシャルライターを務める。取材規制のあった2011年の北朝鮮戦などを除き、1990年4月から日本代表の国際Aマッチの取材を続けている。

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