【引退記念インタビュー中編】富山貴光「窮地に追い込まれるほうが自分らしさを発揮できる」

今回は、昨年末に現役引退を発表し、今季からアカデミースカウトに就任した富山貴光のロングインタビューをお届けする。数々のドラマとともにあったプロ13年間。オフィシャルライターの戸塚啓さんが、丁寧にその足跡を振り返ります。中編の今回は、4年目にサガン鳥栖へ移籍し、その後各クラブを渡り歩いた際のストーリーです。


決して挫けぬ、そのメンタリティ

2016年、心機一転を図ろうとしたサガン鳥栖でのポジション争いは、はるか後方からのスタートとなった。

「練習も主力とそれ以外ではっきり分けられていました。フィジカルトレーニングだけで終わることもあって、自主練もさせてもらえず、紅白戦も出られない。ウォーミングアップとボール回しぐらいなんですけど、最後は絶対にゲーム形式のメニューがあるんです。僕らにも2分ぐらい時間が与えられて、そこでちょっとでも結果を残そうと……」

すぐに何かが変わるわけではない。ただ、2分が3分になった。

「その2分とか3分で、えげつないぐらいにボールを追い回すんです。たった2分だから、一度もボールに触れないかもしれない。実際にそういうこともありました。でも、2分でも出られるのがうれしいし、絶対に這い上がってやろうと思っていました」

果たして、這い上がるのである。

ファーストステージは600分のプレータイムで無得点に終わったが、セカンドステージは496分のプレータイムで5ゴールを記録した。豊田陽平や若き日の鎌田大地らとともに、勝点獲得につながる得点を決めた。


【鳥栖ではセットプレーのキッカーも務めた】

「右足のフリーキッカーが足りないということで、『練習を見ているとお前はシュートがうまいから、蹴ってみろ』とセットプレーの練習で言われて。スタメンにも絡んでいなかったのにそこから使われるようになって、練習したトリックプレーが決まって徐々に試合に出られるようになりました」

そのような扱いでも挫けないメンタリティは、大宮での3年間で培われたものである。

「プロ3年目を終えたときに、リーグ戦にそこまで出ていない自分にいろいろなチームがオファーをくれたんです。やるべきことをしっかりやっていれば、見ている人は見てくれているんだな、ということを教えられた気がしました。試合に絡めない時期が長くなると、メンタルが落ちることもあるんですけど、『何くそ!』って感じで練習とか練習試合から一生懸命やり続けた。それがシーズン終盤の試合出場につながって、オファーが届くことにもつながったと思うんです」

そう言って富山は、大宮でともにプレーした選手たちの名前を挙げた。プロとしての歩みは、ロールモデルに囲まれた日々だった。

「大宮で仕事をしている先輩なら橋本早十さん、アカデミーでGKコーチをしている江角浩司さん。ジュビロ磐田から移籍してきてチームメートになった上田康太さんは、試合に出ても出ていなくても、いつも変わらずにやるべきことをやっていました。金澤慎さんとか渡部大輔さんも、朝早く来て準備をして、空いている時間に足りないところを補ったりしていました。そういう先輩たちの背中を見て育って、僕自身も3年目にやり続けることでチャンスをつかむ経験をしているので、鳥栖でも同じようにその日のベストを尽くせば、いくらでも引っ繰り返すことはできると分かっていた。試合に絡んでいないから必要なことをやらないとか、腐るとかっていうのは、自分の中ではあり得ないですね」

翌2017年は、開幕戦のスタメンに名を連ねた。3試合連続で先発するもののゴールを奪えず、第4節からビクトル・イバルボにスタメンを譲ることとなる。コロンビア代表歴を持つFWは、シーズン開幕後に加入してきた。ストライカーというポジションは、外国籍選手の加入でそれまでの序列がいきなり覆ることがある。

「なかなか出場機会を得られない状況で、新潟からオファーをいただきました」

タフでシビアなチャレンジ。そして大宮へ


【J1残留争いの中、新潟では土壇場で勝利を続けたチームに貢献】

2017年8月、富山はアルビレックス新潟への期限付き移籍を決断した。この時点で新潟は、22試合を終えて勝点9しかつかめていなかった。

「僕が行くと決めた時点で、J1残留はかなり厳しい状況でした。すごく悩んだ末の決断だったのですが、鳥栖での自分も厳しい状況でしたから、ここでまた環境を変えてみようと思いました」

タフな、シビアな、ハードなチャレンジである。だが、富山は飛び込むのだ。

「そっちのほうが自分に合っているというか。余裕を持ってやるよりも、窮地に追い込まれるほうが自分らしさを発揮できる気がするんです。残念ながら、J1降格は避けられなかったのですが」

翌2018年シーズンを迎えるにあたって、新潟から期限付き移籍延長の打診を受けた。鳥栖との契約も残っている。

新たな選択肢も浮上する。J2に降格した大宮から、完全移籍での獲得オファーが届くのだ。

「鳥栖に復帰すれば、J1で戦い続けることができました。でも、2017年は鳥栖でも新潟でもそこまで試合に出ていなかった僕を、大宮は完全移籍で獲りたいと言ってくれました。その思いに応えたくて、自分が大宮をJ1へ戻すんだという気持ちが強く沸き上がりました。ほぼ即答で『行きます』と答えました」

2015年を最後に大宮を離れても、結果はつねにフォローしていた。「めっちゃ気にしていました」と言う。

富山の心から大宮が離れることはなかったが、完全移籍で離れた立場である。2度目のオファーは考えにくく、それだけに、クラブの決断がうれしかった。ありがたかった。

復帰1年目の2018年は、33試合に出場して3得点を挙げた。J2得点王に輝いた大前元紀、覚醒の時を迎えたマテウス・カストロらに主役を譲りながらも、シーズンを通して試合に絡んだ。大きなケガで長期離脱をしないのは、富山というフットボーラーの優れた長所の一つである。

「2018年は試合に多く絡むことができて、監督の石井(正忠)さんはとても人徳のある方でした。プレーオフでヴェルディに負けて昇格できなかったのは、個人的にもすごく心残りでした」

プロ6年目のシーズンである。「自分なりのプレースタイルが、ちょっとずつだけど確立できてきた」との実感があった。

「ゴール数は全然足りないんですが、それ以外のプレーは安定してきたな、という感覚を得ることができました。それを数字に反映できなかったのが悔しくて、プレーオフを勝ち上がれなくてJ1に昇格できなかった。それが本当に申し訳ない、という気持ちでした」

石井正忠監督は1シーズンでチームを離れ、2019年は高木琢也監督のもとでリスタートを切った。大前、マテウス・カストロ、ロビン・シモヴィッチらが並ぶ前線に、フアンマ・デルガドが加わってきた。


【チームにも、自身にも不甲斐なさを感じていたという2019年】

J2リーグを3位で終えたチームは、前年に続いてJ1昇格プレーオフに挑む。6位のモンテディオ山形をホームに迎えたが、0対2で敗れてしまった。

「僕自身はなかなか試合に出られなかったのですが、攻撃陣のメンツは相変わらずすごかったので、ファン・サポーターに対しての申し訳なさを感じました。何て言うか……もっとできるはずだという不甲斐なさを、僕自身にもチームにも感じました」

翌2020年は15位まで順位を下げた。J2で2ケタ順位に沈むのは初めてだった。新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が、Jリーグにも大きな影を落としたシーズンである。

「コロナ禍は本当に難しかった。学校の授業や仕事がオンラインで行われたりする中で、僕たちは練習を再開して、リーグ戦を消化することになった。やるからにはファン・サポーターのみなさんに勝利を、感動を届けたいと思うけれど、そもそもサッカーをやっていいのかというジレンマをずっと感じていた1年でした」

さらに厳しい環境へ。言い訳せずつかんだ結果

翌2021年は2度目の期限付き移籍をする。同じJ2のギラヴァンツ北九州の一員となった。

「大宮は2021年から岩瀬健監督になり、チーム内での自分の立場を考えたときに、新たなチャレンジをしたほうがいいだろう、という決断でした。ここでまた、厳しい環境へ飛び込もうと」

大宮はクラブハウスと天然芝のグラウンドを持つ。クラブハウスで筋トレをすることも、食事を摂ることもできる。

それに対してギラヴァンツは……。

「かなり厳しかったですね」と、富山は苦笑いした。

「でも、高校時代とかを思い出すというか、初心に帰ったというか。練習後に温かいシャワーを浴びられないのは、Jリーグのクラブとして当たり前と言えない。でも、自分の実力が足りないからこの環境にいるのだから、それに対して文句を言える立場じゃない。環境を言い訳にしないでやるべきことをやっていくべきで、北九州へ行ったのは僕の中ではプラスになったと思っています」

富山の言葉を、数字が裏付ける。キャリアハイとなるシーズン7ゴールを記録したのだった。


【北九州では7ゴールを挙げたが、チームはJ3に降格】

「でも、J3に降格してしまったので。あのシーズンの北九州は若い選手、大卒の選手、J1からレンタルで来ている若い選手が多かったんですね。そういう選手に何か気づきを与えられるように頑張ろうというか、試合に出る責任とか出た時に何ができるかといったことを、若い選手に伝えてあげたいという思いがありました。環境だけじゃなくチーム内での立ち位置も含めて、すごく勉強になったシーズンでした」

ギラヴァンツには期限付き移籍で加入しており、チームはJ3へ降格してしまった。一方で大宮は、2021年途中から霜田正浩監督のもとで再生を図っている。1シーズンでの大宮復帰に迷いはなかった。

※後編に続く。


戸塚 啓(とつか けい)
1991年から1998年までサッカー専門誌の編集部に所属し、同年途中よりフリーライターとして活動。2002年から大宮アルディージャのオフィシャルライターを務める。取材規制のあった2011年の北朝鮮戦などを除き、1990年4月から日本代表の国際Aマッチの取材を続けている。

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