今回は、6月3日に現役引退を発表し、RB大宮アルディージャU15アシスタントコーチに就任した石川俊輝さんのロングインタビューをお届け。大宮のアカデミーで育った選手が、どんなプロ生活を歩んでいったのか。オフィシャルライターの平野貴也さんの取材で振り返ります。前編の今回は、引退を決めた経緯や、プロとしての礎を気づいた湘南時代について。

12年半のプロキャリア。その終止符
3歳だった子どもは、クラブの前身であるNTT関東サッカー部からもらった丸い形をした宝物を追い続け、憧れたオレンジ色のユニフォームにも袖を通し、12年半ものプロキャリアを歩んだ。終止符は、NACK5スタジアム大宮で行われた明治安田J2・J3百年構想リーグの最終戦でたたき込んだ決勝ゴール。多くのファン、サポーターからチームへの貢献を感謝され、挑戦の完走を祝福された。

【引退セレモニーにて。晴れやかな表情で、感謝の言葉を連ねた】
試合後の取材エリアで石川に話を聞くと、いつも、味方を褒めるタイミングを逃さなかった。ゴールを決めた選手が、練習でどんな努力をしていたか。ベンチから誰がどんな声をかけてくれたか。途中出場の選手がどれだけエネルギーを与えてくれたか。自分のプレーの話よりも、チームとしての成功を称えてほしいと言わんばかりに話す選手だった。現役最後の試合で決めた自身のゴールについて聞いても「たくさん、シュート練習に付き合ってもらった。特に、カサくん(笠原昂史)には、すごいお世話になった。あれだけシュート練習に付き合ってもらったから、最後にちょっと恩返しできたかな」と仲間の名前を出すことを忘れなかった。
引退を決断するに至った経緯
一芸に秀でた選手が多くいるプロの世界において、石川のプレースタイルは、決して派手な部類には入らない。しかし、献身性と貢献度においては、どれだけ強烈な武器を持っている選手でも石川を超えることは容易でない。だから、複数のクラブで必要され、ファン、サポーターから愛されてきた。
ただ、守備力と運動量でチームを支えるプレーも、はじめから発揮できたわけではなかった。学生時代やプロになったばかりのころを振り返ると、10年を超えるキャリアを歩むことは想像しがたい。石川は「中学生のときは、自分の学年でさえ試合に出られなくて、ユース昇格も滑り込み。大学も関東選抜に入れなかったレベルの選手。こんなに激動のサッカー人生を送れるとは、本人でさえ思っていない。(プロで)3年やれればいいかなという感覚でした」と正直に打ち明けた。
しかし、湘南ベルマーレでプロになり、J2やJリーグYBCルヴァンカップで優勝。ヴァンフォーレ甲府では、天皇杯を制覇。RB大宮アルディージャでは、J3で優勝を果たしてJ2復帰に貢献した。長くキャリアを歩んだだけでなく、3つのクラブでタイトルを獲り、どのクラブでもファン、サポーターと喜びを分かち合った。学生時代を考えれば、それほど大きな実現性があるわけでもなかった目標をかなえた姿は、多くのサッカー少年の手本にもなるものだった。
挑戦の終わりは、寂しいものだ。見ていて、まだプレーできるのではないかとも思える。それでも、石川は納得して区切りをつけた。
背景には、引退に対する覚悟と、所属したクラブを大事にする思いがあった。石川は、2025年夏に右ひざに前十字靭帯損傷、外側半月板損傷の大ケガを負って手術。26年の明治安田J2・J3百年構想リーグは、復帰するのに必死だった。期限付きで移籍していた甲府から大宮に戻った23年に「もう一度、選手として必要とされなくなったときは、引退かなと考えていた」だけに、懸命にリハビリに努めた。
ケガをしたのが、34歳となる誕生日の5日前。ベテランと言われる年齢だ。25年にレッドブルグループの一員となり、RB大宮アルディージャとして生まれ変わったクラブが若返りを図る中、契約延長を勝ち取るのは、相当難しいと分かっていた。ただ、わずかでも、まだアルディージャのユニフォームを着ていられる可能性があるならばとあきらめることはできず、体重が減ってしまうほど苦しみながら努力を続け、石川はピッチに戻って来た。

【ケガの苦しさを乗り越えた先にあった最終戦でのゴール】
このまま現役生活を続けることも考えた。しかし、過去に所属したクラブでは、湘南でも甲府でも最終年にタイトルを獲得している。同様の活躍をしてチームに貢献できるのかをイメージしたとき、「(優勝に貢献した)自分を超えられる気がしなかった。あれ以上の恩返しをするイメージができなかった。サッカー選手としての寿命を先延ばしすることに、ほかのクラブを使いたくなかった」と挑戦を終えることを決意した。石川は、「サッカーに出会うきっかけができたクラブで引退。終わり方として、これ以上ないんじゃないかなと思っています。常に憧れ、常に僕の中心にあり続ける、このクラブが大好き」と晴れやかな表情を見せた。
キャリアを左右した恩師の存在
3つのクラブで挑戦をやり切れたという気持ちは、12年半、ずっと全力だったことの証でもある。長く走り続けられた原動力は、プロキャリアのスタート地点・湘南にある。
石川は「1、2年目は絶望だった」と振り返る。周りに追いていかれないように必死の毎日。一生懸命に取り組むほど、力不足の現実を突きつけられた。当時、湘南は、成長過程の選手を鍛え上げて強さを増しているチームだった。石川は、東洋大から練習参加した際、プロの選手がフラフラになるまで厳しい練習に取り組む姿に衝撃を受けた。しかし、同時に「人としても選手としても絶対に成長できる」と感じ、大学に戻ると古川毅監督(当時)に「湘南からオファーがあったら行きたいです」とすぐに伝えた。
大宮から東洋大を経て、湘南へ。この変遷には、横山雄次という指導者が大きく関わっている。大宮U15、U18時代の監督で、石川が湘南に行く前年に湘南のヘッドコーチに就任していた。石川にしてみれば「横さんに、ボランチにコンバートしてもらっていなかったら、ユースに上がれていなかったと思います。中学生のとき、左足でうまく蹴れないのに、左サイドバックでやっていく話になっていましたから。湘南に練習参加できたのも、横さんがきっかけ。何度も救ってもらいました」というキャリアのキーマンとなる恩師だ。
湘南では、何番手の選手であっても、決して蚊帳の外に置かれることなく、本気の競争にさらされた。プロ入りして数カ月後、湘南で話を聞いた際には「ここでは、今日よければ、明日チャンスがもらえる。全員がそういう気持ちでやれています」と目を輝かせていた。力不足を感じても、次の日にまた全力で挑戦できる。のちに日本代表候補にもなる永木亮太ら主力選手と紅白戦でしのぎを削る環境。その中で、石川は、プロとして生きていく上で不可欠な姿勢を身につけた。

【2014年に湘南へ加入。苛烈な競争の中で成長し続けた】
「最初、試合のメンバーに入れなかったとき、めちゃくちゃ悔しくて、自分自身に驚きました。そういう感情を持っていたんだって。中学、高校、大学では、試合に出られなくても、『誰々と比べたら、そうか(ほかの選手の評価が上か)』と受け入れていた。(本気で競争したら)ここまで悔しく感じることがあるのか。今まで、何をやっていたんだろうと思いました」
卑下して力不足を認めてなどいられなくなった。目覚めた闘志が実りを結んだのは、J1に昇格して臨んだプロ2年目の2015年だ。日本代表経験のある山田直輝ら経験豊富な選手が加入。開幕前のキャンプで行なわれた練習試合では、4本目の最後20分しか起用されなかった。しかし、夏ごろから次第に出場機会を増やし、曺貴裁監督から「ボランチの7番手だったのに、よく頑張ったな」と声をかけられた。
プロ3年目の2016年には主力として定着したが、チームは開幕から8試合未勝利。第9節で横浜F・マリノスを相手に1-0で初勝利を挙げると、普段は泣かないチームメートの奈良輪雄太が涙を流している姿を見て、つられて号泣した。しかし、その後も成績はなかなか上昇せず、2ndステージ第15節に「落ち込んでいる姿を最も見せたくない」と話すNACK5スタジアム大宮でJ2降格が決定した。もちろん、悔しさを味わった。しかし、J1クラブの主力選手として1年を戦えたことで「サッカー選手として戦っていける感覚をつかめた」シーズンにもなった。
運命のクラブ。「最初が湘南で良かった」

【ルヴァンカップ優勝後の1枚。梅崎司、山口和樹とともに】
石川のプロキャリアは、まるでジェットコースターだ。3年間で昇格と降格を味わっただけではない。プロ4年目の2017年は、J2優勝。18年には、ルヴァンカップ優勝と大きく巻き返した。柏と対戦した準決勝の第2戦では、左足でワンタッチのダイレクトシュートを突き刺した。ちなみに、同年7月には、元スペイン代表MFイニエスタが神戸に加入。注目されたJリーグデビュー戦が、ノエビアスタジアムで行われた湘南との試合だった。59分、ピッチに入ろうとするイニエスタと石川は、同じ時間に途中出場している。
「ライン際で(プレーが切れるのを)待っていたら、何でもないプレーのときに大きな歓声が沸いて、パッと横を見たら、イニエスタだった。ピッチイン、一緒です。『デビュー戦、一緒だ、うれしい』と思いました。ずっと憧れていた選手が隣にいると思って」
約1カ月後にホームでも対戦。しっかりとマッチアップした。
「目の前にあるのに、ボールがめちゃくちゃ遠い。全然、届く感じがしないんです。足を伸ばせば届くところにあるんですけど。どうやったら届くんだろうというのは、初めての感覚。もう、バックパスさせて、『よし』と思いました。本当は、奪い取れるタイミングだったんですけど。いつもだったら、よし取れたというくらいの感覚だけど、足を出せない。ちょっとしたパニックになりました」
緊張感の強い試合をいくつも経験し、その中でたくましく戦い続けてきた選手だが、サッカーの楽しさを語るときの表情は、まるで少年だ。プロとしての生きざまを学び、サッカー選手として生きる自信を得て、たくさんの経験の中で酸いも甘いも味わったのが、湘南でのキャリアだった。
石川は「最初が湘南で良かった。湘南に入っていなければ、こんなに(プロ生活を)長くやることは絶対になかった。(大宮の)アカデミーでサッカーを学んだけど、湘南でプロサッカー選手として一番大事な部分、土台を作ってもらった。行きたいと思った自分が間違っていなかった」と運命のクラブに感謝した。

※後編に続く。
平野 貴也(ひらの たかや)
大学卒業後、スポーツナビで編集者として勤務した後、2008年よりフリーで活動。育成年代のサッカーを中心に、さまざまな競技の取材を精力的に行う。RB大宮アルディージャのオフィシャルライターは、2009年より務めている。

