【引退インタビュー後編】石川俊輝「クラブの挑戦を後押ししていきたい」

今回は、6月3日に現役引退を発表し、RB大宮アルディージャU15アシスタントコーチに就任した石川俊輝さんのロングインタビューをお届け。後編の今回は、愛するアルディージャとの出会い、そしてクラブへの思いを中心に、オフィシャルライターの平野貴也さんが綴ります。



一番の夢が、アルディージャでのプレー

そして、2018年シーズンのオフ、アカデミー時代を過ごした大宮からオファーを受けて移籍した。

「将来の夢には、サッカー選手になりたいと書いていましたけど、アルディージャの選手になりたいという気持ちが強かった。大宮公園サッカー場(当時)で(岡本)隆吾さんやハラさん(原崎政人)を見ていたし。僕にとって、一番の夢。いつかアルディージャでプレーしたいという話は(湘南在籍時の監督である)曺さんにもするくらいでした。つねに心にあったクラブ。迷いはなかった。次の年にも(オファーが)絶対に来る確証はまったくない世界。後悔しない選択をしようと思いました」

J1に残留した湘南から、J2の大宮へ。アカデミーからトップに昇格できなかった選手が、上のカテゴリーからチームを救うために移籍してくる。想像できなかったストーリーになった。2019年、甲府を相手に迎えた開幕戦で先発フル出場。スコアレスドローで勝ち切れなかったことで力が足りなかったと感じたことも覚えているというが、オレンジのユニフォームを着てNACK5スタジアム大宮に立ったときの昂る感覚は、忘れられないという。

一つのボール。アルディージャへの憧れの始まり

石川が、アルディージャに強い思いを持っているのは、中学・高校時代をアカデミーで過ごしたことだけが理由ではない。元々、父がNTTに勤めており、佐久間悟、佐々木則夫、渋谷洋樹といった、後にアルディージャの監督にもなるサッカー部の社員と同じ部署だったため、会社行事のバーベキューに連れられて行った際、石川は選手やスタッフと遊んでもらっていた。相手が誰かなど3歳児が知るわけもないが、帰り際にサッカーボールをもらって「僕にとって宝物」とうれしい気持ちになった瞬間が、石川の人生を大きく変えた。

父は剣道、母は弓道の経験者で、サッカーに触れるきっかけはなかったが、以降は、家族旅行など、どこに行くにもボールを持って行ったという。それがサッカーとの出会いであり、アルディージャへの憧れの始まりだったからこそ、クラブが特別な存在になった。

憧れたクラブのユニフォームをまとうようになり、ピッチでは、湘南で何を身につけたのかを存分に示した。学生のころからボール奪取が得意な選手だったが、狙える範囲が格段に広くなっていた。味方を動かして追い込んで奪う。コースを空けておいて誘い込んで奪う。プレッシャーをかけて味方に奪わせる。前に出てプレスをかけ、パスが出たらプレスバックで襲いかかる。豊富なバリエーションで相手の攻撃を阻止し、ボールを奪えば、味方を追い越して前に走る。その躍動感は、印象的だった。

石川は「リスクを冒す責任と楽しさを知った」と表現した。そして、湘南での競争で培った、試合に出ようが出まいが必死に取り組む姿勢は、新たな仲間たちの手本になった。

2019年、一生消えることのない記憶


【大宮での初得点後、ゴール裏の前でマイクパフォーマンス】

19年、石川は、第12節の愛媛とのホームゲームで終了間際の87分に値千金の逆転ゴールを決めている。アルディージャでの初得点だ。湘南に在籍していた18年のJ1での初得点(開幕戦・長崎戦)もそうだったが、FKのこぼれ球に飛び込んだもの。チームとしてやるべきプレーを率先して行う石川らしさが詰まった場面でもあった。

良いプレーは、たくさんあった。しかし、チームは、目指していた自動昇格には一歩届かず、3位でJ1参入プレーオフに回ると、1回戦でモンテディオ山形に敗れた。石川は、ハイライトの映像を見返すこともできていないというほど大きなショックを受けた。大宮に来てからの話を聞いても「来た年のことばかりになってしまう。悔しくて、忘れられない。一生消えることがないと思う」と表情を曇らせた。

大宮は、石川が湘南でプロ1年目を迎えた14年にJ2へ降格。一度はJ1へ復帰したが、17年以降はJ2に在籍。石川は、アルディージャに移籍する際、J1復帰に貢献したいという思いを強く抱いていた。しかし、20年も21年もJ1昇格がかなわないどころか、チームは15位、16位と低迷。21年シーズンの最終節・ザスパクサツ群馬(当時)戦、89分に交代でピッチを去るとき「これが、アルディージャで最後かもしれない」と感じた。

覚悟をもって移籍した甲府での戴冠

その後の面談で、翌シーズンの構想では出場機会が減ることを知り、気持ちは、どん底に落ちた。手を差し伸べたのが、ヴァンフォーレ甲府だった。チームファーストの姿勢を貫く石川らしく「骨を埋めるつもりで行きました。期限付きといえど、中途半端な気持ちで行ったら、甲府に失礼。拾ってもらい、救ってもらったのに。甲府で長くやるんだという気持ちでした」と当時の気持ちを振り返った。

吉田達磨監督の下で細かいポジショニングなどを学べる練習は、新たな発見が多く、楽しかったという。「子どもたちとは公園に行って、温泉も楽しんだ。すごく住みやすかった」と街並みも気に入っていた。それだけでも救われた気持ちだったが「まさか、天皇杯を優勝できるなんて思っていなかった。夢でも見ているんじゃないかと思うくらいの勝ち進み方」と話したとおり、J2では苦しんでいたが、天皇杯で大躍進。J1の5チームを破って劇的な優勝を果たした。


【下段右から二人目が石川。加入1年目ながら副キャプテンを務めた】

石川が、救ってもらった身であり、期限付き移籍の身であることをどれだけ意識し、甲府に恩返しをしたい思いがどれだけ強かったかは、天皇杯の決勝戦のエピソードが物語る。

サンフレッチェ広島を相手に劣勢をしのぎ、試合はPK戦に突入。前日練習で外していたため、蹴る自信がなかった。蹴りたくもなかったため、やり直しの練習もしなかった。延長戦を終えてPK戦に向かうとき、ホワイトボードに縦に記されたキッカーの順番は、下から確認した。しかし、なかなか名前が出てこない。「やばい、4番目だ……」と緊張に襲われた。PK戦で、ほかのキッカーが蹴る間、仲間と肩を組んで出番を待ったが「(長く在籍した選手や生え抜きの選手なら別だが)期限付き移籍の選手が、こんな大事な場面で外して負けたら、どうしよう」と考えると、手の震えが止まらなくなった。仲間に悟られてはいけないと思い、肩を組んでいた腕をそっと外した。

蹴る直前で味方のGK河田晃兵がセーブしてくれたため、重圧が和らいでPKは成功。しかし、のちにニュースなどで映像を見ると、GKの好守と、5人目でキャプテンマークを巻いた山本英臣が優勝を決めたシーンがつなぎ合わされ、石川のキックシーンはカットされていた。石川は副キャプテンだったため、試合の途中からキャプテンマークを巻いていたのだが、大一番で期限付き移籍の選手が着けるべきではないとの考えもあり、その後交代で入ってきた山本にキャプテンマークを託していた。成功すれば、歴史的快挙に貢献した姿は知ってほしいもの。「キャプテンマーク、渡さなきゃよかった」と笑い話にしていたが、甲府にとってどれだけ重要な場面かということばかり考え続けていたことがよく分かる逸話だ。

主将としてJ3優勝・J2復帰に大きく貢献

1年で大宮へ戻ってからは、3年半プレー。チームへの貢献度は高かったが、思い描いた成績にはならなかった。23年にはJ3へ降格。24年にJ3を優勝。石川は、ずっと主戦場としてきたボランチだけでなく、シャドーストライカーと呼ばれる一列前のポジションでも起用され、高い位置で守備のスタート役となり、攻撃は追い越しの動きでチームにリズムを与えた。


【24年、J3優勝のセレモニーでシャーレを掲げた】

キャリアハイとなる5得点のうち、4点目が、第32節・福島ユナイテッドFCとのホームゲームでの一発だった。2-1で迎えた57分、左から泉柊椰が放ったシュートのこぼれ球を逆サイドから詰めて押し込んだ。試合終了間際に失点したため、石川のゴールが決勝点。チームは、この試合を勝って2位以上を確実にし、J2復帰を決めた。攻守両面で欠かせない存在としてJ3優勝に貢献したが、喜びよりも安堵が大きかったという。

25年にはJ2で6位となり、J1昇格プレーオフに挑んだが、準決勝で千葉に3-0から逆転を許して3-4で敗戦。またもJ1復帰は果たせなかった。石川は「アルディージャでは、喜びより、悔しい、苦しいが多くなってしまった。J1でタイトルを獲りたくて帰って来たのに、現実には逆に(カテゴリーを)落としてしまった。申し訳がない気持ちが大きい」と自身がプレーする間にJ1復帰を果たせなかった悔しさをにじませた。

指導者としてのスタートはU15から

振り返れば、ほとんどのシーズンで昇格あるいは残留を争い、終盤までヒリヒリするような戦いに身を置いた。「消化試合をやった記憶がほとんどない」というほどだ。2026年、12年半歩んだプロキャリアの終わりを決めた。しかし、クラブに貢献する挑戦は、まだ終わらない。戦いの中で学んだ多くのことを還元する立場に立つからだ。選手生活を終え、U15カテゴリーでアシスタントコーチに就任することが決まった。

「クラブの未来の宝物が、将来、NACK5スタジアムでRB大宮のエンブレムを背負って、J1でタイトルを獲って、アジア、世界へ行ってもらえるような選手を輩出できるように、選手と一緒に指導者として成長していきたいです。クラブの挑戦を後押しできるようにやっていきたいです」

石川は、新しい立場での意気込みを語った。

石川が在籍していた当時より、アカデミーの評価は高まっており、才能を持った選手が集まるようになっている。しかし、中学生世代は、まだ大きく伸びる可能性もあれば、思っていた以上に伸び悩むこともある時期だ。いかなる才能があろうとなかろうと、やるべきことを見つけ、向き合い、やり続けられるかどうかが最も大事になる。

アカデミー時代、特段に才能を輝かせていたわけではなかった選手でありながら、プロの世界で長く修羅場をくぐり続け、多くのファン、サポーターに愛される存在となった石川は、その重要性を知り尽くし、体現してきた選手だ。自身のような成長力を持つ隠れた才能を見つけ出す可能性もある。いつか、クラブに強烈な献身性を示す選手が出てきたとき、ファンやサポーターは「アイツ、俊輝みたいだな」と言うのかもしれない。引退は寂しいが、NTT関東をきっかけにサッカーを始め、アルディージャを愛し、選手として尽くした石川が歩む第2の人生が、クラブにどんな未来をもたらすのかは、新たな楽しみだ。


平野 貴也(ひらの たかや)
大学卒業後、スポーツナビで編集者として勤務した後、2008年よりフリーで活動。育成年代のサッカーを中心に、さまざまな競技の取材を精力的に行う。RB大宮アルディージャのオフィシャルライターは、2009年より務めている。

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